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東京高等裁判所 昭和53年(ラ)408号 決定 1978年7月18日

抗告人

米沢巌

右代理人

岡宏

相手方

菅谷豊治

主文

本件抗告を棄却する。

抗告費用は抗告人の負担とする。

理由

一本件抗告の趣旨は、原決定を取り消し、更に相当の裁判を求める、というにあり、抗告の理由は、別紙記載のとおりである。

右によれば、抗告人の所論は、要するに、本件仮差押事件は取下げにより終了したので、民事訴訟法第一一五条第三項にいう「訴訟ノ完結」に当たるから、本案訴訟の提起又はその完結の有無にかかわらず、裁判所は、担保権利者に対して権利を行使すべき旨を催告した上で、相手方が権利を行使しないときは、仮差押事件において保証として供託した金三〇万円につき、担保取消しの決定をすべきであり、抗告人の申立てを却下した原決定は取り消されるべきである、とするものである。

二記録によれば、次の各事実を認めることができる。

1  抗告人は、昭和五一年九月二五日、茨城県鹿島郡神栖町大字木崎一二二八番地の九三の地下の池において、砂利採取船に乗つて砂利吸上げ作業に従事中転倒して左肩をウインチに巻き込まれ、左上腕切断の傷害を受けたが、同事故は相手方らの過失によつて生じたものであるから、相手方に対して金六〇六四万六八七〇円の損害賠償請求権を有するとし、内金三〇〇万円の請求権についてその執行を保全するため、同年一一月一五日水戸裁判所に、相手方を債務者として仮差押えの申請をし、併せて、抗告人(債権者)のため、相手方(債務者)が株式会社東陽相互銀行(第三債務者)に対して有する金三〇〇万円の預金債権を仮に差し押さえるとの裁判を求める旨の申請(同裁判所昭和五二年(ヨ)第二八四号債権仮差押申請事件)をしたこと。

2  水戸地方裁判所は、抗告人の右申請を相当と認め、同人に金三〇万円の保証(盛岡地方法務局昭和五二年(金)第六四六号、同年一二月一日供託)を立てさせた上、同年一二月三日、債権者の債務者に対する1記載の債権の執行を保全するため、債務者の第三債務者に対する1記載の預金債権を仮に差し押さえる旨及び第三債務者は債務者に対し差押えに係る債務の支払をしてはならない旨の仮差押決定をし、右決定は、同月五日第三債務者たる株式会社東陽相互銀行に送達されたこと。

3  水戸地方裁判所は、抗告人の申立てにより、第三債務者に対し、右仮差押決定とともに、送達の日から七日の期間内に民事訴訟法第六〇九条第一項所定の事項を陳述すべき旨の催告書を送達したところ、第三債務者は、これに対して、同月一二日、本件仮差押えに係る債権としては、右仮差押決定の送達時現在合計金一四万九三八一円の預金債権が存在するが、第三債務者は債務者に対して金三七〇万円の債権を有し、相殺適状にあるので、右預金債権を支払う意思はない旨の陳述書を同裁判所に提出したこと。

4  抗告人は、同月二九日水戸地方裁判所に対し、「前記債権仮差押申請事件の申請を取り下げる」旨の取下書を提出し、その謄本が昭和五三年二月二三日相手方(債務者)に送達されたこと。

以上のように認められ、更に当裁判所の釈明に対する回答として提出された抗告代理人の陳述書によれば、抗告人は、右仮差押申請とほぼ同時期に、相手方ほか一名に対し前記損害賠償金の内金三〇〇万円の支払を求める訴えを水戸地方裁判所に提起し、右訴訟は、同裁判所麻生支部において審理中(同支部昭和五二年(ワ)第八四号損害賠償請求事件)である事実を認めることができる。

三仮差押え又は仮処分の債権者(担保提供者)の申立てにより「訴訟ノ完結」後になされる権利行使の催告は、債権者が供託した保証につき、担保取消決定を得る前提として、右申立てにより、裁判所が、担保権利者たる債務者に対し、その被担保債権である当該仮差押え又は仮処分によつて生ずる損害賠償権について、裁判上確定を図る手続を現実にとるべき旨を催告するものであつて、ここにいう「訴訟ノ完結」に当たるためには、保証の原因たる事項に係る手続が終了した結果、担保権利者の被担保債権が客観的に確定し(将来に向かつて損害発生の余地がなくなるばかりでなく、既に発生した損害については、損害賠償権の存在及びその額の判定が可能であること。)、かつ、その行使について別段の障害がなく、担保権利者に対してその権利を行使すべきことを要求しても無理ではない状態に達することを要するものと解すべきである。

したがつて、保全処分手続及び本案訴訟がいずれも終了した場合には、当然これに当たるものというべきである(ただし、仮差押え又は仮処分の債権者が本案訴訟で勝訴の確定判決を得た場合には、特段の事情がない限り、「担保ノ事由止ミタル」場合に該当するものとして、権利行使の催告を経ることなく、担保取消の決定をすることが可能である。)、が、保全処分手続が終了しても本案訴訟がいまだ終了していない場合には、これと同一に論ずることはできない。

けだし、被担保債権たる債務者の損害賠償債権の存否は、その前提たる被保全権利の存否によつて左右されるのが通常であり、右被保全権利の存否の最終的確定は本案訴訟によつてなされるものであるからである。

しかして、仮差押え又は仮処分における保証の被担保債権は、主として、被保全権利(本案訴訟の目的である請求権)が存在しない場合における損害賠償債権であるが、そのほか、被保全権利自体は存在しても保全の必要性がなかつた場合におけるものあるいは専ら執行の違法又は不当によるものが含まれることはいうまでもなく、また、財産上の損害に係る損害賠償債権に限られず、保全処分の命令が発せられること自体あるいはその執行によつて債務者の信用を害し、又はこれに精神的苦痛を与えた場合におけるこれらの損害に係るものも除外されるべきものではない。そこで、「訴訟ノ完結」があつたといい得るためには、これらの諸点を考慮に入れた上前述の要件を満たすものであることが必要である。

四1 仮差押又は仮処分における保証の被担保債権たる損害賠償債権の原則的前提である被保全権利の存否は、本案訴訟において決せられるのであるから、仮差押事件又は仮処分事件が終了しても、本案訴訟が終了しない間は「訴訟ノ完結」があつたとはいい得ないのを原則とすることは、前記三に述べたところによりおのずから明らかである。

ただ、仮差押手続が債権者の不利に終了した場合(例えば仮差押命令が取り消された場合)又は債権者が仮差押えの申請を取り下げ、若しくはその執行を解放した場合については、これを例外とする考え方もあり得るところである。すなわち、これらの場合には、当然将来における損害発生の可能性は消滅するとともに、当該仮差押えは違法な仮差押えであることが明らかとなるから、既往において債務者が損害を被つていたとすれば、その損害賠償債権は少なくともこの時点において行使可能の状態となり、しかも、仮差押えは金銭債権又はこれに換え得べき債権の執行を保全するための手続であつて、保全の目的たる債権と執行の目的財産との間には直接の関連がないので、損害賠償債権の存在とその範囲は、後日被保全権利に関する本案訴訟がいかに終了するかによつて影響を受けることがない(本案訴訟で債権者が敗訴しても、仮差押えを違法たらしめる理由として被保全権利の不存在が付加されるにすぎないから、これによつて損害賠償の範囲が拡大されることはないし、逆に本案訴訟で債権者が勝訴したとしても、違法な仮差押えを適法たらしめるに由なく、これによつて生じた損害賠償債権の存否、範囲に影響を及ぼすことはない。)とし、これらの場合における「訴訟ノ完結」は、本案訴訟の終了ではなく、仮差押手続の終了をもつて足りるとする見解も確かにあり得るところである。

2  しかしながら、翻つて考えてみるに、仮差押手続が債権者の不利に終了した場合又は債権者が仮差押えの申請を取り下げ、若しくはその執行を解放した場合についても、その理由、態様は決して一様ではない。

試みに仮差押命令が異議又は上訴の裁判において取り消された場合についてみても、その取消しが被保全権利の不存在を理由とすることもあれば(この場合には、後に本案訴訟において右権利の存在が確定されることもあり得る。)、保全の必要性を欠くことを理由とすることもあり、更に事情の変更によつて仮差押命令が取り消される場合もあることはいうまでもないが、これらのすべての場合につき、本案訴訟の結果いかんと無関係に、仮差押命令の取消しの時点において、仮差押命令の違法が明らかとなり、かつ、それによつて発生した損害賠償請求権の範囲が客観的に判定可能な状態になるものとはいい難い。

このことは、仮差押えの申請の取下げ等の場合についても、同様である。前記二に認定したとおり、抗告人は、本件仮差押えの申請及び債権仮差押命令の申請を取り下げたので、これによつて本件仮差押事件は完結したものと見られる(ただし、右取下書謄本の第三債務者に対する送付の有無及びその時期は記録上明らかでない。)から、将来本件仮差押えにより損害賠償債権が発生する可能性は消滅したものというべきである。しかし、右取下げは、債権仮差押命令が第三債務者に送達されて差押えの効力が生じた後になされたものであり、これによつてはじめて右差押えの効力が消滅したものである。

抗告人は、本件仮差押えの執行は「不発に終わつた」のであるから、そもそも損害はあり得ず、損害賠償債権の発生する余地がないと論じている。確かに、仮差押命令が発せられる前又は仮差押命令が債務者若しくは第三債務者に送達される前にその申請の取下げがあつた場合には、通常債務者に損害の発生することは考えられないであろう(したがつて、通常「担保ノ事由止ミタル」場合に該当すると考えられる。)。しかしながら、本件の場合には、これと異なり、前記三に述べた意味において債務者が損害を被り、損害賠償債権を取得するに至つた余地がないとすることはできない。

一方抗告人が本件仮差押申請を取り下げたのは、第三債務者が前記二の3のとおりの陳述をしたことによるものと推認されるから、右取下げにより本件仮差押えが保全の必要性を欠くのにかかわらずなされた違法の仮差押えであることが明らかになつたものとはいい難いし、また、逆に本案訴訟の結果と無関係に、本件仮差押えに違法の点はなく損害賠償債権は発生しないものと判断することもできない。

以上を要するに、少なくとも、本件の場合においては、本案訴訟が係属中でいまだその終了に至らない以上、仮差押えの違法性の有無及び損害賠償請求権の存否、数額の判定が可能な状態に達したとはいい難く、担保の関係においていまだ「訴訟ノ完結」には至らないものと解すべきである。

(なお、抗告人は、同じく本案訴訟の未完結の場合であつても、一般の取扱いが、保全訴訟手続の完結時において本案訴訟が提起されていない場合と、本案訴訟が提起されたがその終了に至らない場合(本案訴訟係属中)とを区別し、前者の場合には権利行使の催告による担保取消しを認めているのは首尾一貫しないとも論じている。しかし、本件においては、本案訴訟係属中に仮差押手続が終了したものであることは明らかであるから、あえて本案訴訟未提起の場合について論及することは必ずしも必要ではないと考えるが、この場合における抗告人主張のような裁判例の取扱いが理論上当然の帰結であると考えることはできない点を付記する。右のような取扱いは、担保提供者からの本案訴訟提起の予定が明らかでなく、担保権利者からの起訴命令の申立ての見込みも定かでない状態の下においては、(蓋然性の見地から)その時点における本案訴訟の未提起を本案訴訟の不存在と同視し、直ちに担保権利者に対して権利行使を要求しても差し支えないという考え方に基づくものであると思われる。この考え方を肯定するとしても、少なくとも担保提供者と担保権利者との間に既に本案訴訟が係属している場合に、なおかつその終了を待たずして担保権利者にその権利行使を要求することは、これを是認すべきではないと考える。)

五以上の次第であつて、本件の場合にはいまだ「訴訟ノ完結」には至らないから、抗告人は、担保権利者たる相手方に対する権利行使の催告及びその不行使の場合における担保取消しの決定を求めることはできない。

その他記録を精査しても、原決定を取り消すべき違法の点は見当たらない。

よつて、抗告人の権利行使催告による担保取消しの申立てを却下した原決定は結論において正当であり、本件抗告は理由がないから、これを棄却することとし、抗告費用の負担につき民事訴訟法第九五条、第八九条を適用して、主文のとおり決定する。

(岡本元夫 貞家克己 長久保武)

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